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名前:骨川平八郎(ホネカワ ヘイハチロウ) 性別:男 職業:山賊 武器:なまくら刀 説明:アリスの一族の生き残りが住む村をつけ狙う山賊の下っ端
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登録日:2018/09/24 (月) 10 23 46 更新日:2023/08/22 Tue 19 50 39NEW! 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 いかりや長介 ベテラン 刑事 刑事課 叩き上げ 名言製造機 和久ノート 和久平八郎 定年 巡査長 所轄 指導員 故人 湾岸署 盆栽 腰痛 警察 警視庁 踊る大捜査線 達筆 長野県 正しい事をしたければ、偉くなれ 和久平八郎とは、テレビドラマ『踊る大捜査線』の登場人物である。 演:いかりや長介/大嵐浩太郎(ひとり踊る大捜査線) プロフィール 生年月日:1936年(昭和11年)11月1日 血液型:A型 現住所:東京都練馬区 本籍地:長野県 特技:盆栽、書道 人物 警視庁湾岸警察署刑事課強行犯係に所属していた刑事。 階級は巡査長。TVシリーズ最終話で定年退職となったが、退職者再雇用制度によって指導員として湾岸署に呼び戻された。 ベテランの風格が漂う老刑事で、冬場は帽子とマフラー、グレーのコートを身につけている。 青島俊作からも出会った当初に「見るからにデカって感じ」と尊敬の目で見られ、映画『セブン』で老練刑事を演じた俳優の「モーガン・フリーマン」に例えられていた。 腰痛持ちであり、作中でも事ある毎に腰の不調を訴えている。 こうなってしまったのは、40歳の頃に本庁に栄転し、そこで朝から晩まで運転手をさせられたかららしい。 湾岸署で最も長く警察官をやっている大ベテランであり、人生経験も豊かなので署の刑事達からも「和久さん」と呼ばれ頼りにされている。 TVシリーズ開始時には定年まであと3ヶ月に迫っていたが、その短い期間の中で新米刑事の青島に刑事のイロハを叩き込んだ。 「罪を憎み人を憎まず」の精神を貫いているが、過去の事件で同僚の刑事が殺された事があるため、警官殺しだけは絶対に許さない。 妻と一人娘の3人暮らし。 娘は顔が和久そっくりとのことで、30代半ばにしてこれまでに男性と一度も付き合った事がないらしい。 実は兄弟が10人いる(和久は恐らく8男)。 弟の平十郎の息子(甥)の伸次郎は、後に湾岸署配属され青島の部下となった。 警視副総監の吉田敏明は古い友人。 捜査のために吉田が捜査一課管理官として所轄にやってきた事で知り合い、当初は対立する事もよくあったが、いつしか2人の間に強い絆が生まれる。 それは今の青島・室井慎次の関係とそっくりであり、青島と室井にかつての自分達を重ね合わせ、警察組織の未来を託すような事を言う場面もあった。 タレントの篠原ともえのファンで、「歌の心を知っている」と評している。 性格 定年が近い事もあって普段はやる気がなさそうにしており、よく「疲れるほど働くな」と口癖のように言っている。 だが熱い正義の心は今でも衰えておらず、その情熱を胸に秘めて日々捜査を行っている。 頭に血が上りやすいところがあり、爆弾が仕掛けられた椅子に座ってしまった時に、真下正義に冗談半分で「優秀な刑事だったと父に伝えておきます」と言われると「まだ俺を殺すな!!」と怒鳴っている。 また爆弾犯に「土下座して謝ってくれれば立てるようにします」とからかわれると(その犯人が警官を殺した事もあり)「この変態野郎!!」と激怒していた。 しかし女子高生に「バカジジイ」と言われた時には流石に凹み、「くそジジイはねえよな…」等とぼやいていた。 老練刑事らしく、暴走しがちな青島に力の抜けるような事を言って水を差したり、これまでの刑事人生で得たきたものから含蓄のある言葉を言って彼を諭したりする。 そのどれもが深く印象に残る言葉だが、その後は「…なんてな」と照れ隠しで言ったりする事も。 面倒見が良く、年末には寒さで辛い思いをしているホームレス達を留置所に拘留の名目で泊めたりしていた。 たまごっちの育成が趣味という可愛いところもある。 考え方がやや古いため、事件の捜査にプロファイリングが導入された時には自分のやり方を否定された事で「それはそんなに当たんのか?」と反発していた。 マニアに対して偏見を持っていた事もあったが、マニアの中には自分のように大会で入賞している者もいると知ると、自分も盆栽コンクールで入賞した事があったので「俺も仲間か」と呟いていた。 能力・特技 大ベテランだけあってかなり優秀な捜査官であり、これまでに警視総監賞を21回も貰っている。 独自の情報網を持っており、捜査ではその情報網を駆使して事件の情報を集めている。 時にはただの老人に扮して犯人に近づき油断させる事もある。 趣味の盆栽は警視庁盆栽コンクールに入賞するほどの腕前。『交渉人 真下正義』では交渉課新設のお祝いに力作の盆栽を贈っていた。 達筆であり、捜査本部入口に貼る事件の戒名を書くのを任される事がある。 経歴 1954年。 長野県立第二高等学校卒業後に警視庁巡査を拝命。 翌年の4月に巣鴨警察署の警ら課に配属される。 総務課看守係→刑事課強行犯係と異動し、巡査長に昇進。 1967年に機動捜査隊本部早稲田分駐所に転属となり、1972年に第二機動捜査隊本部に配属される。 1983年に八王子警察署刑事課に異動。 当時は刑事になったばかりの若手とコンビを組んでいたが、犯人逮捕の際にその若手刑事が殺されてしまう。 この事は定年間際になった現在でも悔やんでおり、仇を討つために職務と並行して単独で犯人を追っている。 1993年に湾岸警察署刑事課強行犯係に配属。 活躍 定年まであと3ヶ月に迫っていたので、6年前の警官殺しの犯人逮捕を諦め事件の事も忘れようとしていた。 だが湾岸署に配属された青島が下に就いた事で殺された警官の事を思い出し、定年までの3ヶ月の間に彼に所轄の現実や刑事のイロハを教え込む。 最初のほうはやる気に溢れている青島を「やる気なんか出すな!」とよく注意していたが、爆弾椅子に座らされ身動き出来なくなった際に青島が「悪党の思うがままになるのは嫌」と言って最後まで残ってくれた事で、彼に目をかけるようになった。 その際には「正義なんて言葉は死ぬまで口に出すな。心に秘めておけ」と青島に言っており、この教えは『THE FINAL』まで青島の中で生き続ける事となる。 定年まであと数日に迫っていた雨の日、長年追っていた警官殺しが港区に出没。 真下が撃たれてしまうが、青島と室井コンビの活躍によって犯人は逮捕された。 犯人を取り調べていた時に遂に定年を迎え、後の事を青島達に任せて定年退職する。 この際には「俺がやめてもコイツ(青島)がいる限り警察は死なねぇ」と青島に警察の未来を託すような発言をしていた。 定年退職後は警察学校の事務を経て、再雇用職員制度を利用して警官の指導員として湾岸署へ復帰。 指導員になるまで事件と無縁の悠々自適な生活が送れたので、長年悩まされていた腰痛も解消されていた。 『THE MOVIE』では友人の吉田が誘拐されてしまったので、いてもたってもいられなくなり単独で捜査を行う。 だが捜査本部に無断で捜査をしていたため、犯人グループに怪しまれ取引が失敗に終わる結果となった。 犯人の住居を突き止めた時に犯人一味に襲われ監禁される。だが持っていたある物をうまく使った事で青島達に居場所を教える事が出来、事件は無事解決した。 『THE MOVIE2』では、ダジャレ的発想で犯人グループが伝えようとしていたメッセージを解き、捜査に貢献している。 しかし沖田仁美のミスで恩田すみれが負傷し、それでも沖田が傲慢な態度を取り続けていた時には「もうお前の命令なんか聞けるか!」と激怒し、「これ以上若いもんを傷つけないでくれ…」と悲しそうに言った後、捜査本部を出ていった。 今回で吉田が近々勇退すると知り、自分もそろそろ引き際だと思い、事件解決後に完全に警察を引退する事を決意する。 そしてすみれを心配して病院にやってきた青島と室井に「頼んだぞ、警察を。…なんてな」と言い、青島に指導員の腕章を渡して去っていった。 『THE MOVIE3』では病気で他界している設定で、彼の代わりに甥の伸次郎が湾岸署に配属される。 彼の遺品「和久ノート」には彼の格言がびっちり書き込まれており、ノートを引き取った伸次郎がよくそれを声に出して読み上げている。 そのノートに書かれていた「死ぬ気になれ。その時だけ生きられる」という言葉は、余命が僅かしかないと宣告されネガティブになっていた青島を突き動かす事となった(後にその宣告は誤りだった事が判明するが)。 『THE FINAL』では、かつて青島に教えていた「現場に立ち、被疑者の気持ちになれば逃亡先が読める」という追跡方法を青島が実践しており、犯人の居場所を突き止めた事で事件は解決を迎えている。 その他 『THE MOVIE2』の公開後の2004年に和久を演じたいかりや長介は逝去。 同作のDVD版ではエンドロールの最後に「ありがとう、和久平八郎 さよなら、いかりや長介 湾岸署一同」というテロップが追加されている。 だが没後の2005年に公開された『容疑者 室井慎次』の時点では和久はまだ健在という設定であった。 頼んだぞ、追記・修正を。…なんてな △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 名前 コメント
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211 :名無しさんの主張:2011/12/31(土) 19 43 51.33 ID ??? 信長、秀吉、家康の誰が好き? みたいな質問が多いように、日本人は権力者が大好き 大塩平八郎や天草四郎みたいに正義を主張して戦ったタイプは全く人気がない 212 :名無しさんの主張:2011/12/31(土) 19 47 44.96 ID ??? 弱者を守ろう、救おうとした人物は嫌われるね。 歴史上の人物にしてもドラマや小説の人物も、 目的のために泣く泣く(腹の中では大笑い)弱者を切り捨てる人物が好まれる。 239 :名無しさんの主張:2011/12/31(土) 21 19 15.46 ID ??? 日本人が抱くイメージ 信長=偉大な権力者様。冷酷なところが素敵。 秀吉=偉大な権力者様。立身出世の理想像。 家康=偉大な権力者様。忍耐力を見習うべき。 大塩平八郎=反逆者のクズ。キチガイ暴徒。氏ね。 天草四郎=反逆者のクズ。キチガイ狂信者。氏ね。 683 名無しさんの主張 2012/01/29(日) 07 43 55.40 ID ??? 大塩平八郎は融通が効かず協調性に欠ける上に勘違いしてヒーロー気取りする嫌な奴 豊臣秀吉は上司への忠誠を忘れない誠実な人柄な上に下品な芸もできて親しみが持てるいい奴 601 名無しさんの主張 2012/02/18(土) 08 04 22.16 ID ??? 大塩平八郎は本当に人気が無いよね 教科書でも5行くらいの説明ではい終わりだから 大塩の魅力や功績が全然教えられてないっていうのは大きいね (これは日本の歴史教育全般に言える問題) 大塩は奉行所の与力っていう役職だったんだけど 今でいうなら警察署長の役職 つまり警察署長(与力)が政府(幕府)や大企業(豪商)の酷さに気付いて 反乱を起こしたって話だったんだよね マジで格好良過ぎだよね しかもただ武力で反乱起こしただけじゃなくて、 その為に自分の莫大な財産を投げ打ってるからね 「奉行所に対して民衆の救援を提言したが拒否され、 仕方なく自らの蔵書五万冊を全て売却し(六百数十両になったといわれる)、 得た資金を持って救済に当たっていた。 しかしこれをも奉行所は「売名行為」とみなしていた。」 「利を求めて更に米の買い占めを図っていた豪商に対して平八郎らの怒りも募り、 武装蜂起に備えて家財を売却し、家族を離縁した上で、大砲などの火器や焙烙玉(爆薬)を整えた。 一揆の際の制圧のためとして私塾の師弟に軍事訓練を施し、 豪商らに対して天誅を加えるべしと自らの門下生と近郷の農民に檄文を回し、 金一朱と交換できる施行札を大坂市中と近在の村に配布し、決起の檄文で参加を呼びかけた。」 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%A9%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E%E3%81%AE%E4%B9%B1 大塩は陽明学を信奉してたんだけど、みんな陽明学って知ってる? 698 名無しさんの主張 2012/02/18(土) 16 59 16.67 ID BicgNnyn [1/1回発言] だね それだけ所蔵してるだけでもすごいけど それらを読んでたんだろうから物凄い 「大塩は32歳の時に、私塾『洗心洞』を大阪天満の自宅に開いていた。 教えていたのは陽明学。彼は学者としても広く知られており、 与力や同心、医師や富農にその思想を説いていた。塾の規律は厳しく、 朝2時に講義が始まり、真冬でも戸を開け放していたが、門弟は増える一方だった。 奉行所を隠居した大塩は、一介の学者として学問の道を究めようとし、 1833年(40歳)“知”は“行動”が一致して 初めて生きるとする「知行合一」を説いた『洗心洞剳記(さつき)』を刊行する。 大塩は著作の最後を「口先だけで善を説くことなく善を実践しなければならないのだ」と締めくくり、 門弟と共に富士山に登り同本を山頂に納めた。」 あの人の人生を知ろう ~ 大塩平八郎 http //kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic18.html 今の日本に一番必要な学問は陽明学だよ 733 + 1:名無しさんの主張[sage] 2012/05/04(金) 07 29 50.03 ID ??(1) 大塩平八郎や吉田松陰、西郷隆盛、高杉晋作の存在は教えるけど、 彼らのバックボーンとなった精神である陽明学を教科書に載せないのは恣意的だと思うね 現代でさえ陽明学を知られたら困る東朝鮮 知行合一とは、陽明学という中国の儒学者・王陽明(1472-1528)が起こした儒学の主要命題である。 意味を簡潔に言うと、「思ったら、行動する。」という、実践主義の思想である。 その為、日本にも数多くの信奉者がいるのが陽明学である。 世界でも稀に見る革命であった明治維新を成し遂げた志士の精神的指導者達に、 陽明学に造詣が深い人が多いのがその実践主義を裏付けている証拠だろう。 有名どころでは、中江藤樹、熊沢蕃山、佐久間象山、川井継之助、吉田松陰、高杉晋作、大塩平八郎、西郷隆盛等など。 徳川幕府が、推奨していた朱子学は、権力側に都合の良い儒学であった。 「上が上でも、下は文句を言わず付き従わなくてはいけない」 という上下の秩序を重んじる思想が、朱子学であった。しかし、陽明学は、 「上が上なら、下も下になるのはしょうがない。組織やグループの命運は上が握っている」 という、反体制的な思考を基礎とする儒学であった。 自ずと、体制側には都合が悪い。 長い戦国時代が終わり、江戸幕府を開いた徳川家康は、思想統制に苦心していた。 戦争のない社会を作る。 つまり、徳川の社会を未来永劫続けたい。 しかしいまだ、上下の秩序を問題とせず下克上の気風が色濃く残っていた、江戸開府当時。 それを、都合良く抑えるのには、武士に武芸への傾倒を捨てさせ、武芸学問奨励へと向かわせるのが良いと考えた。 その都合の良い学問が、朱子学であった。 上下の名分を重んじる上下関係を根本にする朱子学は、思想言論統制にピッタリであった。 家康の相談役であった朱子学の大家・林羅山が、幕府公認の正学として朱子学奨励の任が与えられた。 それと共に、他の学問が迫害された。 特に、「上下関係よりも、正しさが重要視される」 上には都合の悪い陽明学は危険視され、後に風紀を乱すものとして禁止される事になる。 新与太随筆 http //ameblo.jp/takayukimie9141974171981/entry-10049967393.html 888 名無しさんの主張 2012/02/05(日) 21 45 32.84 ID 6VjqnIMd [3/3回発言] 「主に日本は江戸時代で既に社会規範に上位する原理ってものが認知されてない 昔から何も考えず上に従え」という意見に、そうではないと反論したわけだよね? だから江戸時代の封建制の話ををしたのだよ。 欧米の封建制のように契約書を作り、そこにサインし、契約を守り通すこと、 道徳的義務を果たすことを権力者が神に誓ったかというと、全くそんなことはないだろう。 江戸時代における「社会規範に上位する原理」とは具体的に何なのかを聞いても、 当時の人間で答えられる者はほとんど誰もいないと思う。 「社会規範に上位する原理」が発展して庶民が徳川幕府の正当性を疑わないよう、 幕府は徹底的にキリスト教を弾圧し、外来思想を排除し、仏教は僧侶を公務員にして 支配することで骨抜きにし、儒教は権力者の道徳について問う本質的部分を削り、 徳川体制に従うことがいかに正しい生き方かという主張を昌平坂学問所で競わせた。 今で言うところの御用学者として儒学者は使われていた。 「社会規範に上位する原理」は厳禁で、体制を疑った人は「お縄」になった。 一握りの陽明学者だけが「社会規範に上位する原理」を考え、大塩平八郎のような 特異な人物も生まれたわけだが、例外中の例外だし、もちろん潰された。 ちなみに、江戸時代以前だって「社会規範に上位する原理」は存在しなかった。 「双務的契約」というのも、江戸時代のような終身雇用身分保障がなかったので、 当然、すぐもらえる見返りが欲しいという要求を臣下が行っただけの話で、 古今東西、傭兵や盗賊団が行なってきたような約束と同じ話。 守るべき原理が存在しなかったからこそ、契約もいい加減で、そこに道徳的意味もなく、 宣誓もしないし、だからこそ「裏切り」が日常茶飯事だった。 ドナルド・キーンによれば、江戸時代までの日本の戦や乱を調べてみると、 裏切りが非常に多く、裏切りによって勝敗の流れが決まることが大半なので衝撃的だそうだ。 577 名無しさんの主張 2012/02/18(土) 03 37 48.67 ID ??? なぜその三人なのかわからないが、 織田信長は暴力で権力闘争に勝っただけの権力者だし、 本居宣長は中国叩きして日本の伝統をひたすら賛美する国学者だし、 山本七平は少しは言論でメスを入れたかもしれないが、評論家だし高く評価されてもいない。 日本では社会の腐敗にメスを入れる正義感の強い人物は潰されるし評価されないし人気もない。 大塩平八郎もそうだが、江藤新平も人気なくて可哀想だね。 英米流の三権分立・法の支配・民主主義・行政訴訟(←どれも日本では未だに機能していない)を、 明治最初期の時点でセットで日本に導入しようとしたり、奴隷(芸者)解放令を出したりして、 アブラハム・リンカーンの日本人版のような政治家だったのに、 人気ゼロだし、そもそも何をした人物なのかも知られていない。 むしろ彼を狡猾な罠にはめて殺した卑怯な大久保利通の方がはるかに人気があるという始末。 日本人は正義感の強い人を見ると生理的嫌悪感を覚える。逆に、 「なんだかんだ言って世の中は力が全て。それが真実。認めないのは平和ボケした偽善者だ!!」 というタイプの人物には心の底から憧れたり親近感を覚えたりする。 580 名無しさんの主張 2012/02/18(土) 03 57 48.52 ID ??? 日本の一般人にそこまで求めるなよw 頭の悪さは一流だぞw 大塩、江藤は知名度がないし、 大久保が評価されるのは後釜に伊藤博文という初代がいるしな 日本人は善悪の概念がなく勝者につくだけ 133 名無しさんの主張 2012/02/26(日) 17 55 30.67 ID ??? 竜馬が人気なのは剣術の達人のサムライと、海賊という、 子供が喜びそうな武勇イメージが重なっているからであって キング牧師が尊敬されているのとは全く質が異なる。 単に強くて天真爛漫でカッコイイから人気というだけ。 弱者や国民の権利を守るため、権力の腐敗を暴くために生真面目に 活動して潰された大塩平八郎や江藤新平は全く話題にもならない。 238 名無しさんの主張 2011/12/05(月) 10 43 42.23 ID ??? 大塩平八郎なんかは幕府の腐敗を嘆き、弱者を救おうと強者に挑んだが、 そういう例は確かに少ないな 694 名無しさんの主張 2012/01/29(日) 09 28 30.58 ID ??? まとめてみた。 日本人は自分と他人の優劣をすぐに比較する。 本当の善人を見ると醜い自分にコンプレックスを感じ、叩き潰したり、自分と同じくらい低俗なところまで引き摺り下ろす。 偽善者や悪人を見ると「親近感」を感じて喜ぶ。日本人はそういう民族。 だから高潔な人物が日本ではなかなか生まれないし、生まれたとしても大塩平八郎のように 人気は皆無で時代劇にも映画にもドラマにもならずスルーされる。 679 + 1:名無しさんの主張[sage] 2012/02/09(木) 22 43 48.58 ID ??(1) どこまで低俗で下劣な人間なのかを競い合っているのが日本人なんじゃない? 大塩平八郎タイプの高潔な人間は嫌われるし、 豊臣秀吉のように下品で好色なところをアピールした方が人気者になれる 395 標準日本人 ◆lEN.d.nqvE 2012/03/23(金) 22 16 15.09 ID ??? 行動派の人が良い方向に行けば大塩平八郎や田中正造のように、悪い方向に行けば辻政信や牟田口廉也のような人間になるんだと思う 行動派の悪い人たちをどうやって良い方向に向いてもらうか どうやって大多数を占める非行動派に行動を起こしてもらうか この2点が鍵になりそうな気がする 172 名無しさんの主張 2012/03/26(月) 22 04 33.43 ID ??? 大塩が人気ないのは不良臭、ヤンキー臭、芸人臭がしないからだと思う 標準的日本人が好む人間像と正反対 180 名無しさんの主張 2012/03/26(月) 22 11 55.67 ID ??? 後半三人は結果敗者となった大塩と違い、まあ名誉・権力もあったしな やみくもに真似して従うためのご主人を嗅ぎ分ける能力があるのかね 741 名無しさんの主張 2012/04/05(木) 01 51 53.46 ID ??? 「探さなくてもいくらでもある」のが欧米 「探してもいくらもない」のが日本 ちなみに、聖徳太子の話は、天皇の権威を正当化するために日本書紀で創り上げられた「でっちあげ」。 「厩で処女の母親から生まれた厩戸皇子」とか、その設定からして、中国の景教を経由した キリスト教福音書の猿真似だけど日本人は恥ずかしくないのかね? 十七条の憲法の第三条に書かれているように、聖徳太子の説く心は、天皇は天(神)なんだから 絶対服従しろという論理で、西洋社会が産み出した個人主義、「人間は人間に絶対服従する必要はない」と対照的。 自分たちの権威権力を正当化するための神話や憲法(?)に善意や良心なんてあるわけがないw 悪意の結晶だよw 石田心学はよく知らないが、Wikipediaによれば、 倫理というよりむしろ「ビジネスの持続的発展」の観点から、本業の中で社会的責任を果たしていくことを説いており、 寄付や援助など本業以外での「社会貢献」を活動の中心とする欧米のCSRにはない特徴がある。 ということらしいから、欧米企業のような寄付や援助をしないことの正当化、カネ儲けの独善的美化にしかならないのだろうねw 大塩平八郎は立派だけど潰されたし、その弱者救済や反権力腐敗の思想は明治維新には受け継がれていない。 自由民権運動も立派だけど、Wikipediaに書かれているように、 大日本帝国憲法をもってしても自由民権運動の真意がかなえられる事は無く、これらの権利を永久不可侵の「基本的人権」 と定めた1947年の日本国憲法施行によってでしか自由民権運動の真の成功は達成し得なかったのである。 というわけで、アメリカに占領されるまで、恐怖と暴力によるキチガイ体制で一億総玉砕がどうのこうのと日本は大暴走していたからなw 33 名無しさんの主張 2012/04/06(金) 23 03 19.07 ID ??? 真面目というより「良心のある人間」を目の敵にして叩き潰すのが日本流。 昔からずっとそうだよ。 江戸時代にしたって大塩平八郎みたいな人は主張も無視され相手にされず潰されたし、 戦前戦中も良心のある人は特高警察にみんな潰され、 善人の遺伝子が排除され、邪悪な遺伝子だけが濃縮されてきた。
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【タイトル】 腐食せぬ恨み 現代に甦りし天保の乱OfTheDead 【システム】 サイキックハーツ 【トレーラー】 大塩平八郎の乱を知っているだろうか 別名天保の乱とも呼ばれるそれは、史実において失敗に終わりながらも 日本全国に大きな衝撃をもたらした それは高潔なる精神とままならぬ現実の葛藤の末に起こされた戦いだ だが、それがダークネスによって歪められればどうなることだろうか? 答えは簡単だ 現代に天保の乱は悪意を持って甦る サイキックハーツRPG 『腐食せぬ恨み』 ――恐れるな、この力 【ハンドアウト】 PC① 奪われし者 コネクション:大塩平八郎? 感情:復讐 君は何もかもを奪われた。 家も家族も友人も、君が大切にしていた何もかもが炎に包まれた。 その身を焦がす激しい怒り、その身を苛む絶望。 そのすべてを呑みこみ、仇を討ち果たせ。 PC② 誓いの盾 コネクション:PC① 感情:誓約 君は助け出すことができなかった。 エクスブレインの未来予測にしたがって現場を訪れた君の眼前に広がる炎。 それは手遅れを示唆する何よりの証拠だった。 だが、それでも守ることのできた相手はいる。 今度こそ、人々を守りきろう。 PC③ 未設定なのでなんか適当に考えてください コネクション: PC④ 未設定なのでなんか適当に考えてください コネクション: PC⑤ 自由枠 コネクション:自由にとれよ 感情:なんでもいいんじゃないかな 君はイレギュラーだ エクスブレインの未来予測に存在せず、だけども事件に関わることができた。 ブレイズゲートによる揺らぎに隠れた存在かもしれない。 未来予測を超越することのできる特別な何かを持っているのかもしれない。 だが、一つだけわかることがある。 君は、灼滅者(スレイヤー)だ。 【概要】 大塩平八郎を名乗るノーライフキングが現れました。 彼は、史実の大塩平八郎の乱と同じように火薬や火を用いて人を襲おうとしているようです。 その悲劇を止めるため、エクスブレインの未来予測によって君たちが出撃することになりました。 さあ、歴史と祈りを冒涜する死者を止めてください。 名前 コメント すべてのコメントを見る
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江田島平八郎忠勝 性別:男 学年:教師 所持武器:股間の螺旋槍 攻:30 防:3 体:35 精:5 FS「漢気」:20 移動力: 43 ZOC:あり 他キャラクターのZOC: 無視しない 所持DP:2
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平八郎聞書 山本周五郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)水野監物忠善《みずのけんもつただよし》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#8字下げ] ------------------------------------------------------- [#8字下げ]一[#「一」は中見出し] 水野監物忠善《みずのけんもつただよし》が三河ノ国岡崎の領主であった頃、その家老に戸田新兵衛《とだしんべえ》という者がいた。 新兵衛は水野家に数代仕える足軽の子で、十五六歳の頃までは、いるかいないか分らない平凡な少年であったが、それから四五年経つうちに、いつともなく、だんだんとその存在が人の眼につきはじめた。……べつにぬきんでた男振りでもなし、口数も寡《すくな》く、とくにこれという才能があるとも見えないのに、いつかしら、寄合いの席などでは彼の意見が欠くことのできぬものになってきたし、なにかむずかしいもめごとでも起ると、よほど年長の者までが新兵衛に調停をたのむというふうになった。 彼は二十二歳のとき足軽組頭になり、それから三年してその総支配に抜かれた。――当時、岡崎藩の足軽総支配という役は番頭格で、二百石以上の武士がこれに当っていた。したがって、平足軽から出てその役に抜かれるということは、ほとんど不可能に近いことであって、まったく破格の出世だったのであるが、新兵衛の人柄は少しも『破格』だという感じを与えなかった。 ――なるほど戸田なら申分あるまい。 同輩の人々がそう思ったし、上司のあいだでも受けがよく、 ――あの男ならなにかやりそうだ。 という評判が一致していた。 総支配には二年在職した。とりたてて記すべき功績もなかったが、彼が在職している期間には、常になにかともめごとのある上士と足軽とのあいだに、いちども諍いごとが起らずに済んだ。それについてとくに取締りをしたとか、心配したとかいう訳ではない、なにも仔細はないのだが、とにかく彼の在職中は珍しく無事だった。 新兵衛は二十七歳の春、正式に士分に取立てられ、百五十石の書院番になった。そこでも彼は好評をもって迎えられた、そしてその年の夏、物頭を勤める神尾角左衛門《かみおかくざえもん》から望まれてその娘の萩江《はぎえ》と婚約をむすんだ。 そこまではごく順調であった。数年のあいだに、平足軽から百五十石の書院番になり、物頭の娘と婚約ができたということは、すでに泰平となったその時代には異数の立身である、しかも秀抜な手柄があったわけではなく、いつとなく自然と伸びあがったのだから、その人柄がありふれたものでなかったことは確実であろう。……けれどそれから間もなく、その順調な運命を覆して思いがけぬことが起った。 寛文五年九月はじめ、新兵衛は主君忠善の命で、彦根藩の井伊家へ使者に立った。……虎次郎《とらじろう》という家僕を供に、岡崎を出て、その日は鳴海で泊り、翌日岐阜、三日めの暮れがたに不破の関跡へかかった。 「これから先は山越しになりますが、どこへお宿を取りましょうか」 「ちょうど宿間になったな」 新兵衛ははじめからそのつもりだったとみえて、かまわず歩きながら云った。 「しようがない、今夜は月がいいようだから山越しをしてしまおう」 「……大丈夫でございますか」 「御用を急ぐから」 伊吹を越える峠路にかかるとまったく日が暮れた。幸い月は中天にあったが、つづら折りの道だし樹立に遮られるので、足もとは決して安全とは云えなかった。 夜の九時頃であった。峠のもっとも迂廻路へかかったとき左手の杉林の中からわらわらと五人ばかりの人々が出て来て、月光の明るい道に立ちふさがった。異様な風態をして、素槍だの刀だの、みんなそれぞれ武器を手にしている。 「旦那さま、賊です」 家僕が悲鳴のように叫びながら逃げだそうとした。けれども、そのときうしろへも同じほどの人数がとびだして来たので、彼は新兵衛の背後へ小さくなって身を隠した。 「なんだ、貴公たちはなんだ」 新兵衛は前後を見廻しながら云った。 「貴公の見るとおりだ」 一人の図抜けた巨漢が答えた。 「しかし山賊でも野盗でもないぞ、みんな志操高潔な武士だ、志操高きがゆえに主取りを好まず、俗塵を避けて山野に武を鍛錬しているのだ。ここはわれらの関所だ」 「ここを夜に入って通る者は」 と別の一人が大地に槍を突立てながら叫んだ。 「たとえ大名、将軍たりとも、われらに貢《みつぎ》しなければならぬ。拒むものは即座に斬って捨てる掟だ。話が分ったら、所持の金子は云うまでもない、衣服大小をここへ脱いで行け」 「それともひと戦やるか」 喚きたてながら、十余人の賊どもは、武器をひらめかせて前後から詰め寄った。 [#8字下げ]二[#「二」は中見出し] 「しばらく、しばらく待ってくれ」 新兵衛は手をあげて制した。 「貴公らの申分はよく分ったが、拙者は主君の御用で彦根までまいる途中だ。ここで裸になっては御用を果すことができぬ」 「人にはそれぞれ用があるものだ。ここはそんな斟酌をする関ではないぞ」 「だから相談をしたい」 新兵衛はふところから金嚢《かねぶくろ》を取り出し、巨漢の手へ渡しながら云った。 「これに二十金ほど入っている。これを渡すから、衣服大小を見逃してもらいたい。もし見逃すことができないなら、せめて御用を果すまで拙者に貸しておいてくれ」 「貸しておく……それはどういうことだ」 「御用を果せばすぐこの道を帰って来る。そのときは衣服大小を渡すと約束しよう」 賊たちは無遠慮に笑いだした。 「ばかなことを云うやつだ」 槍を持った男が嘲笑して叫んだ。 「そんな痴言《たわごと》をああそうかと云って、ここで貴様の戻って来るのを便々と待っていられるか、われわれはそんな甘口に乗るほど呆けてはおらん」 「甘口かどうか知らぬ、しかし約束は約束だ」 新兵衛は力を籠めて云った。 「帰りにはかならず衣服大小を渡す、武士に二言はない」 「やかましい、文句を云わずに身ぐるみ脱いで行け」 「それとも斬って取ろうか」 またしても賊どもが武器を取り直したとき、頭目と思われる例の巨漢が、 「待て待て、みんなちょっと待て」 と制止しながら前へ出た。 「こんな話は初めてだが、武士に二言はないと云った言葉が面白い。ひとつそれに嘘がないかどうか試してみよう」 「では帰るまで待ってくれるか」 「待とう。しかし念のため断っておくが、約束を破って妙な真似でもすると。この話を天下に触れて笑いものにするぞ」 新兵衛は静かに笑って頷いた。 峠を越えて、人家の見える処へ来るまで、家僕はものも云えなかった。新兵衛は黙って歩いていた。そして東から空が白みはじめ、道に人影が動きだすと、家僕はようやく元気を取り戻したように、山賊たちの愚かなことや、その賊どもをうまうまいっぱいくわせた主人の奇智を褒めだした。 「やまだちどもが、あの山中で、今日か明日かと待っている姿を思うと、可笑しくて腹の皮がよじれます。あんな間の抜けたやつらがおりましょうか」 「そんなことをむやみに饒舌《しゃべ》ってはいけない。人に聞かれたら笑い草になる」 新兵衛はそうたしなめただけだった。 彦根へ着いて、用を果したのはその翌々日のことであった……彼は用事が済むとその足で帰途についた。むろん道を変えるか、そうでなければ役人に訴えて、警護の人数を同伴するものと思っていた家僕は、訴えた様子もなく、しかも同じ道を帰るのはどうする気かと、主人の心が分らないで大いに疑い惑った。……当の新兵衛はそんなことに頓着せず、ずんずん道を早めて、夜になるのを計ったように、元の峠へとさしかかった。 十時を過ぎた時分だった。雲に見え隠れする月光を踏んで一昨夜の場所までやって来ると、新兵衛は左手で大剣の鍔元《つばもと》を掴みながら、立停ってしばらくあたりを見廻したのち、 「おーい、おーい」 と声をはりあげて呼んだ。 「やまだちどのはおらぬか。一昨夜ことを通った者だ。やまだちどのはおらぬか」 「……旦那さま、そんな乱暴なことを」 家僕が、仰天して止めようとしたとき、右手の杉林の奥から「おう」と、答える声がして、松の火が、ちらちらと道のほうへ下りて来た。……例の巨漢を先に十人あまり、こんども用心ぶかく主従の前後を取り巻いた。 「よう、これはこれは先夜のごじん」 「約束を果しに来た。御用も終ったから、衣類大小を渡して行く、受け取ってくれ」 「なるほど二言のない仕方だ、もらおう」 巨漢はなかば呆れ、なかば感に入った様子で、しかし油断なく新兵衛の動作を見戍《みまも》った。こちらは無造作に大小を脱って渡し、くるくると衣類もぬぎ捨てた。「ひとつ頼みがある。供の者だけは勘弁してやってくれぬか」 「ならん。だいいち主人が裸になったのに、下郎が着物を着て歩くというのは義理に欠ける、一緒に裸になれ」 家僕も裸になった。二人とも、下帯ひとつのまったくの裸である。巨漢はそれを見ると、 「気の毒という気持は捨てたわれらだが、約束を守った褒美に肌着だけ返そう。持って行け」 そう云って、肌着二枚投げてよこした。……主従がそれを着て、夜の道を立去って行くと、巨漢はしばらくそのうしろ姿を、見送っていたが、やがて溜息をつくように呟いた。 「世の中は広い。妙な人間がいるものだ」 [#8字下げ]三[#「三」は中見出し] 他言はならぬと、固く口止めをしておいたが、いつか家僕がもらしたとみえて、その時は間もなく、岡崎家中に弘まった。そして、それまでの好評がいっぺんに逆転した。 ――武士たるものが、なんということだ。 ――ひと太刀も合わせず命乞いをしたそうではないか。 ――やはり素性が素性だからな。 かつていちども人の口に出たことのない彼の素性が、そのときはじめて、前方へ押し出されてきた。 ――足軽はやはり足軽だよ。 ――かっこうだけは出世しても、魂までは武士になりきれなかった。 ――いいみせしめだ。 新兵衛は黙っていた。弁明もしないし、べつに恥ずる様子もなかった。……するとある日、神尾角左衛門が訪ねて来た。 用件は噂のことだった。 「世評があまりやかましいので訊《き》きに来た。いったい、噂は事実なのか、おそらく嘘であろうと思うが」 「いやほとんど事実です」 新兵衛が、さすがに少し困惑したように答えるのを聞いて、角左衛門は額のあたりを赤くした。 「そうか。当人の口から事実だと云うなら間違いはあるまい、しかし、どうしてそんなばかな真似をした。所存のほどを訊こう」 「べつに仔細はありません。お上の御用を仰せ付かった体ゆえ争いを避けただけです」 新兵衛は静かに云った。 「御用を果すまでは、わたくしの体でわたくしの自由にはなりません。しかし争いを避けるには帰りに衣服大小を渡すと約束せざるを得なかったのです」 「それで約束を果したというのか、相手もあろうにやまだちどもに!」 「たとえ相手が山賊野盗でも、いったん約束したことは反古《ほご》にはできません。わたくしは武士の義理を守っただけです」 「臭い[#「臭い」に傍点]……」 角左衛門は眉をしかめて云った。 「いかにも武士臭い言葉だ。そういう臭みなことを口にするようでは、真の武道はとても分らぬだろう。改めて云うが、娘との婚約は一応ないものにしてもらうぞ」 「お望みなれば……致しかたがありません」 新兵衛は予期していたように静かに頭を下げて承知した。 世評はさらに悪くなった。人々には彼の態度が、いかにも武士を衒《てら》っているように見えてきた。『武士の義理を守った』という言葉は理にかなっているが、またあまりに理にかない過ぎていた。角左衛門が云ったように『臭み』がある。それが評判をますます悪くすることになった。 その年の霜月、高代権太夫《たかしろごんだゆう》と名乗る武芸者が来て、岡崎家中の士に試合を挑んだ。 藩主忠善は自ら小野派一刀流の極意を極めたほどの人で、平常武道をもっとも重んじていたから快く城中に招いて試合を許した。ところが高代権太夫は意外に強く、三日にわたって八人と立合いことごとくこれを打負かしてしまった。試合が済んでから数日、彼は城下の宿に滞在してなにかを待っていた。恐らく召抱えの使者があるのを待っていたのであろう。しかし城からはなんの挨拶もなかったので、彼は大手の高札場へ左のような意味の文字を書き遺したうえ、東国へ向って出立した。 [#ここから2字下げ] 申し遺すこと 当藩主、監物侯は、高名なる武人と聞き及んだが、士を鑑《み》るの眼なく、したがって家中に人物なし、嗤《わら》うべき哉。 寬文五年霜月[#地から2字上げ]高代権太夫 [#ここで字下げ終わり] その貼紙はすぐ藩主の手許へ差出された。怒るだろうと思った忠善は、それを見ると案の定と云いたげな顔で、 「この程度の人間であろうと思っていた、詰らぬやつだ、捨てておけ」 そう云って紙片を裂き捨てたきりだった。 高代権太夫は、忠善がその貼紙を見ればきっと怒ると思った。怒って討手を向けると思っていた、そうしたら一人残らず斬って立退こうと考えていたのである。しかし討手の来るようすがないので、少し拍子抜けのした気持で道を進めて行った。すると日暮れ少しまえ、御油《ごゆ》の宿へかかろうとするところで、 「もしもし高代どの」 と右手のほうで呼びかける者があった。立停って見ると、一人の若い武士が、並木の松の蔭に馬を繋いで待っていた。 「なんだ、岡崎家の者か」 「そうです」 「討手だな」 権太夫はぐっと刀を掴んだ、相手は静かに道へ出て来た。戸田新兵衛であった。 「いや討手ではない」 新兵衛は微笑しながら云った。 「城中の試合に出られなかったので、後学のため一本お教えを受けに来た。お願いできようか」 [#8字下げ]四[#「四」は中見出し] 「殊勝な心懸けだ、いかにも立合ってやろう」 権太夫は相手の心を見透したように。 「だが得物は真剣だがよいか」 「望むところだ。この松の向うに、ちょうどよい場所をみつけておいた。そこで願おう」 「どこであろうと拙者に文句はない」 新兵衛はくるっと踵を返して、すたすたと並木の蔭へ入っていく。なるほど四五間さきに広い草原があった。……権太夫ははじめから討手だと信じていたし、かならず助勢の人数が来ているものと考えたので、新兵衛が草原へかかるあいだに距離を縮め、 「さあここだ」 と相手が振返る。真向へ、絶叫しながら強襲の不意打ちを入れた。 即妙必殺の一刀だった。けれど新兵衛もまた、はじめ彼に背を向けて歩きだしたときから、その一刀のくることは期していた。だから、絶叫とともに打ちこんだ権太夫の太刀は、紙一重の差で空を截り、新兵衛は右へ跳躍しながら大剣を抜いていた。 権太夫はすぐ立直って中段に構えた。両者の間十五六尺、新兵衛は青眼にとって、呼吸をしずめながら相手の眼を見た。 そのまま両方とも動かなくなった。ずいぶん長いことそのままだった。むろん、そのあいだにも精神と精神とは火花を散らして闘っていた。どんなに微細な気息のやぶれも敗因となる。五感は絞れるだけ引き絞った弓弦のように緊張し、吐く息は熱火のようだった。 そういう状態がいつまでも続くものではない。ついに張切ったものの裂ける時がきた。どちらが仕掛けたのか分らない。まったく同音に、えいという叫びが起り、両方の体が相手のほうへと神速な跳躍をした。 二本の白刃がきらりと電光を飛ばした。そして新兵衛が二三間あまり走って向直ったとき、権太夫は、体をへし折られたようなかたちで、草の中に顛倒していた。 「あっぱれ、でかしたぞ」 不意にうしろで叫ぶ声がしたので、新兵衛は反射的に刀を構えて振返ったが、とたんに持った大剣を投げだして草の上に両手を下ろした。……近寄って来たのは、意外にも監物忠善その人であった。 「みごとな勝負だった。よくした」 忠善は並ならぬ機嫌で云った。 「じつは余が討止めるつもりで、家中へは密々に追って来たのだが、ひと足の差でそのほうに取られた。それにしても、あの不意打ちをよく躱したものだな」 「未熟な技で御目を汚し、まことに恐れ入りまする」 「だが新兵衛」 忠善はじっと新兵衛の面をながめて、 「これほどの腕を持ち、しかも今日まだ誰にも知らせぬだけのゆかしい心得がありながら、角左にはなぜあのようなことを申した」 「……はっ」 「武士が武道を表看板にするのは、茶人がいかにも茶人めかすと同様に、はたの眼には笑止なものだそうではないか……角左に申した言葉は道理に違いない。だがそれを口にする武道臭さは抜けぬといかんぞ」 「まことに心至らぬ致しかたでございました。神尾どのに心底を問い詰められ、外聞にもれるとは存ぜず、浅慮の恥を曝《さら》して申訳がござりませぬ。……なれど」 新兵衛は静かに面をあげて 「一言申し上げたいことがございます」 「聞こう、申してみい」 「世間の評にも聞き、唯今お上よりもお言葉でございましたが、わたくしは今後もできるだけ武士臭い武人になろうと心得ております」 「……どういう訳だ」 「味噌の味噌臭きと、武士の武士臭きと、ふたつながら古くより人の嫌うものとされております。わたくしもそう存じておりました。臭みのない武士になろうと心懸けたこともございます。なれど……数年前ある書き物を手に入れまして、にわかに眼が明きました」 「その書き物とはなんだ」 「それにはかような一節がございました」 新兵衛は眼をなかば閉じて、力のある、低い声で誦うように云った。 「……昔よりの説に、武士の武士臭きと、味噌の味噌臭きといけぬものなりと、下劣の諺にもいうなれど、まずは、脇よりみてのことにてやあらん。定めて公家か町人の評判なるべし。武士はなるほど武士臭く、味噌はなるほど味噌臭くあれかしとぞ思う。武士はなに臭くてよからんや。公家臭からんか出家臭からんか、職人臭からんか、むしろ百姓臭くてよからんか。味噌もなまぐさくも、こえ臭くも、血臭くても、腐り臭くても何かよからん。ただ味噌臭きがよかるべし。右の武士は武士臭くてよからぬという説……」 「待て、新兵衛待て」忠善は急に遮って云った。 「その文章、なに人の書いた物だ」 「はっ、本多平八郎《ほんだへいはちろう》どのの聞書にて、東照神君《とうしょうしんくん》のお言葉を、そのまま筆録されたものだとございます」 「そうか――神君のお言葉か」 忠善は非常な衝動を受けたもののように、ややしばらくじっと空をみつめていた。……その胸中にどんな想いが去来したことであろう。やがて深く嘆息をもらすと、 「よく聞かせてくれた。余も眼が明いたぞ」 としみ入るように云った。 「武士はなるほど武士臭く、百姓はなるほど百姓臭くあるべきだ。臭みを無くせば元も失う。臭みなど恐れては真の道に入ることはできぬ。……新兵衛、まだそのあとを覚えておるか」 「たどたどしゅうはございますが、覚えております」 「続けてくれ、聞こう」 忠善は草の上に正坐した。新兵衛は身を正し、低い力の籠った声で暗誦を続けた。 「……右の武士は武士臭くてよからぬという説は、武士きらうのものがふと云い出したる言なるべし。さようの者はふんどしを除きてさようおくれたし。これ平生畳の上の習いにて肝心の大切の時は、そのようなる心にて強きことは中々ならぬものなり」 すでに日はとっぷりと暮れた。六尺ほど隔てて相対した主従の顔も夕闇のなかで朧にかすんできた。しかし、忠善は時の移ることも忘れて、一言も聴きのがすまじと聴いていたし、新兵衛の声もますます熱を帯びてゆくばかりだった。 「……天地を尽くしても、武士の有らんかぎりはこの道理すたることなし。常の心懸けということ、これを措いて多からず。たとえて手近の証拠をあげていえば……」 平八郎聞書はなお続く、空には美しく星が輝きはじめていた。 底本:「強豪小説集」実業之日本社 1978(昭和53)年3月25日 初版発行 1979(昭和54)年8月15日 四刷発行 底本の親本:「島原伝来記」 1942(昭和17)年刊 初出:「島原伝来記」 1942(昭和17)年刊 ※表題は底本では、「平八郎聞書《へいはちろうききがき》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
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autolinkTOP>【せ】>全米が泣いた 全米が泣いた (ぜんべいがないた) 分類1【言語全般】 ジャンル1【一般】 洋画の紹介CMで使われたのが始まり。 他にも全米が大爆笑したりするらしい。 全てのアメリカ人が泣く映画かと思って期待して観ると、アメリカ人が理解できなくなる程つまらなかったりする。 更に上をいく「全世界が泣いた」作品もあるJARO。 登録日 2009/11/30 【せ】一覧 世紀末の魔術師 制限 青酸カリ 精子 星銃士ビスマルク 聖戦士ダンバイン 西部警察 生理中 セーラー服 セーラー服反逆同盟 関本賢太郎 セクキャバ セクハラ 「絶対、何もしないから」 ZO 説明書 0系・新幹線 1900系 戦国魔人ゴーショーグン 全身リップ 選択 千年女王 全米が泣いた 潜望鏡 全裸にエプロン ■ トップページへ移動 ▲ このページ上段に移動
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このページはこちらに移転しました 愛が泣いている 作詞/tta 不確かな想いは人を傷つけるだけ 誰もが知ってるのにまた繰り返してる 小さな偶然から恋が愛に変わる瞬間 その暖かな幸せがずっと続くと願う 絶望の破片で足首を切る 些細なきっかけは歪みに変わる 愛が泣いている 悲痛な叫びは 未だ届かない 涙は止まらない 愛が泣いている 枯れ果てた声は 今は響かない 空しく消えてゆく
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システム クトゥルフ シナリオ名 死者の町 日本で起きた事は大体世界でも起きていた。 江戸時代に大塩平八郎が江戸幕府に対する反乱に失敗していたが、 アメリカでも飢饉によって権力者が狙われた。 町民も、権力者が雇った傭兵も、両者激しい殺し合いになり、その町は滅んでしまった。 そんな事件は世界中で起きていたが、この町は少し違うのかもしれない。 もしも権力者が不思議な本を持っていたら、 もしも権力者が死体を操る術を知っていたら、 こんなにもたくさんの死体を見て、どう思うだろうか。 世界を我が手に?いやいや、そんなことはしないだろう。戦争なんて無かったことにするはずだ。 その証拠に、今日も平和な町に死体が歩く。 おまけ 探索者は近くの町に住む探偵なり、警察なりになって権力者がもっていた本を探したり、死体が歩く町の噂の真相を探ったりする事になります。 死体が歩く町は昼は普通の町ですが夜は町人全員死体である事がわかります。 名前 コメント すべてのコメントを見る
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○○が泣いてる プリクラの落書きによく使われるコメント。 「さきが泣いてる」に始まり、 「みやだてが泣いてる」等幅広く応用されている、